一般には入れない場所に置かれていて、なかなか確認ができません。
青梅市の狛犬を調査し尽くしている
liondogさんのサイトでも、これは「猪」であるとした上で、次のように推理しています。
左は1995年に、右は2000年に同じ場所を撮ったもので、よく見ると、ちょっと違う。どうやら、背後の柵を修理した時に左右が入れ替わったらしい。要するに、誰も、こいつに気を配っていなかったわけだ。
どうやらこれが真相のようです。ぼんやりとしていても、両方写っているので心強い証拠。
それにしても、上の写真を見比べると、質感や台座の感じが結構違うように思えます。もしかすると、片方は破損して、後に作り直したという可能性もあるのでは? と思っています。
liondogさんの解説は、
→ここに出ています。
これではっきりしました。完全に別物です。
これなら豚ではなく猪だと分かります。
ということは、なつさんが見た豚コマは、そこにかつてあった文化5年の猪のコピーだったわけです。
コピーものもすでに傷がついたのか、一部うっすらとセメント状のもので補修されているようですが、とにかくまったくの別物ですね。
となると、liondogさんが2000年に見たのは、左右が入れ替えられた古い豚コマではなく、新しい豚コマだった可能性が高くなってきました。
上の写真を見ると、片方は割れてしまい、ワイヤーで縛っていますが、その後のいくつかの証言によれば、両方とも新しいものに代わっているようです。
では、文化5年の「日本最古の猪」はどこへいったのでしょうか。
まさか廃棄したのではないでしょうねえ。心配です。
(2006年11月1日追記)
当の武蔵御嶽神社から「全国狛犬情報」に投稿があり、事情が分かりました。
この古い写真の状態が撮影された後、平成8(1996)年9月22日の台風17号により、北側の大杉が倒れ、原形をとどめないほどに大破。そこで、平成11(1999)年に青梅市の「補助事業」の一環として、元の石の上を「覆う」形でこのように作り直したそうです。
この作業を担当したのは
(株)ざエトスで、昭和40年当時の写真を元に、復元したそうです。
ざエトスのサイトに、
この猪像を復元しているときの写真も掲載されています。
→こちら
国内外の文化財修復を専門にやっている会社のようです。しかし、ずいぶん印象が違ってきますね。
もとの猪像も、建立されたときはこんな風に見えたのでしょうか。
修復の様子を見る限り、おそらく、表面をきれいに磨き上げた後に、接着して、剥離部分を埋めていき、最後に表面を薄く何かの素材で覆ったのだと思います。
この写真だと、阿と吽を逆から撮影しているのが並んでいるので、それも印象を一変させた原因でしょうか。
左右の位置については、liondogさんが最初に見た1995年当時と、再建後では確かに逆になっているそうで、尻尾の向きや顔の阿吽によって、現在の位置が正しいと判断して入れ替えたとのことです。
というわけで、事情がよく分かりました。
勝手に盛り上がりまして、武蔵御嶽神社の関係者各位には大変失礼をいたしました。ここに改めてお詫び申し上げます。
反省の意を込めて、わいわいと間違った推理をしていた部分はそのまま残しておきます。