須賀川牡丹園を後にして、次は石川郡玉川村川辺にある正八幡神社をめざします。ここには、狛犬の片方が壊れて、この片方だけを後から頼まれて和平が彫ったという狛犬がいるはずです。
参道入り口に昭和17年建立、石工・小針岩晴銘の狛犬がいますが、これは普通の出来。
和平狛犬は拝殿前にいます。

顔がかなり違います。向かって左の狛犬は味原勇という石工で昭和30年建立。右のが和平で、昭和36年建立となっています。
昭和36(1961)年ということは、和平が亡くなる5年前で、すでに80代に入っていたときの作品ということになります。
和平狛犬としてはいちばん新しいもので、どの程度自分で彫っていたのか分かりません。すでに、孫の登などの手も借りていたことは確かでしょう。
面白いのは、左側の吽像を造った石工が、和平の石都都古別神社の狛犬などを真似て飛び狛犬スタイルにしていることです。
子獅子がじゃれ合っているところなども、寅吉・和平の狛犬に通じていて、寅吉と和平の狛犬が、この地の石工たちに大きな影響を与えたことがうかがえます。
しかし、こう並べてみると、石工としての力量の違いが出ていますね。掘りの細かさがまず違う。味原の狛犬も相当頑張っていますが、腰のあたりの線が細すぎて、石を刻みきれていなかったことが分かります。
四角い石材から立体を掘り出すことの大変さを教えてくれます。
この狛犬は、後から見た矢吹町中畑の八幡神社にある、孫の登が彫った狛犬(昭和38年12月)よりはかなり出来がいいように思われます。2年後の八幡神社の狛犬は、和平はもはや指導するのが精一杯で手が出せず、彫ったのは登。この川辺正八幡神社の狛犬は、和平が多少なりとも手をかけた可能性がある最後の狛犬ということで、貴重な存在でしょう。