エッセイ 「狛犬」という趣味

 このコーナーの文章は、『生衛ジャーナル』(編集・発行 財団法人全国生活衛生営業指導センター)の2002年7月号から2003年5月号まで連載されていた『狛犬鑑定団が行く』というエッセイを元に、若干書き直したものです。 

第2回 石工たちのドラマ

 狛犬を趣味にする人には、大きく分けて二通りいるようです。一つは狛犬の写真を撮ることを楽しむ狛犬カメラマンタイプ。もう一つは、狛犬を分類したりデータを集めたりする研究者タイプ。もちろん、ほとんどの狛犬ファンは、この両方を楽しんでいますが、やはりどちらかに重点を置くようになるようです。
 私自身はカメラマンタイプからスタートしましたが、後になってから簡単なデータも取るようになりました。そのほうが、狛犬の背景に隠れている歴史や人間ドラマを想像できて、より楽しめるからです。
台座は必ず見よう!  面白そうな狛犬を見つけたら、台座を見ましょう。奉納された年月日や、奉納した人の名前が刻まれていることがあります。
 単に名前だけが刻まれていたら、ほとんどの場合、奉納した人の名前で、作者ではありません。もちろん、「石工 ○○刻」などと明記されていれば、それは作者の名前です。
 台座に同一の石工の名前を見つけ、「なるほど作風が同じだが、こっちのほうが後から作られている分、少し腕が上がったな」などとひとりごちるようになれば、もう立派に狛犬の世界にはまってきた証拠です。
 石工の名前に注意を払っていると、ライバル関係にあったらしい石工や、親から子へ石工稼業が引き継がれていく様子なども見えてきます。
 例えば、川崎市では、江戸末期から明治、大正にかけて、溝の口の内藤石材店と登戸の吉澤石材店がライバル関係にあったことがよく分かります。内藤石材店が作った狛犬には「内藤慶雲」、吉澤石材店のものには「吉澤耕石」という名前が彫られていることが多いのですが、これらは当初は石工の名前だったものが、やがてブランド名になったようです。特に慶雲の銘が刻まれた狛犬は、技術面や作風にばらつきがあり、到底同一人物が作ったとは思えません。
 新潟県の小千谷市でも、小林石材店と諸我石材店がライバル関係にあった様子が浮かび上がってきます。中でも、明治後期から大正にかけて活躍した小林斧七という石工は卓越した技術を誇っており、私が確認しただけでも新潟県内に斧七銘の狛犬は二桁の数あります。しかし、昭和に入ってからの斧七狛犬は、おそらく子息か弟子が斧七の名前を継いだものでしょう。
 斧七の父親らしき石工で小林正信という銘の狛犬もあるのですが、技量がずっと落ちます。名工斧七は、先代を超えて「斧七時代」を築いたのでしょう。
 こんな風に、石工の名前を確認していくだけでも、その狛犬が建立された背景をいろいろ想像することができます。狛犬ネットに掲載されている「超推理・内藤慶雲物語」は、想像力が高じすぎて、落語風の物語をでっちあげてしまった結果です。
 狛犬入門としては、まず地元の神社を回って、簡単な狛犬データを集めてみることから始めるのもいいかもしれません。

八槻都都古和気神社 吽 八槻都都古和気神社 阿
八槻都都古和気神社(福島県東白川郡棚倉町八槻)の狛犬。天保11年11月建立。上の台座写真はこの狛犬のもの。素晴らしい個性派江戸狛犬。状態も極めてよい。福島県内有数の名作。

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