狛犬のひとつ前の先祖は中国の獅子像です。中国獅子がそのまま日本国内で「狛犬」として受け入れられている例も多数あります(東大寺南大門の「狛犬」もそのひとつ)。
仏像美術との関係からか、中国獅子は寺にも散見されます。
長江を境にして、主に北側で見られる北獅、南側で見られる南獅に大別されますが、この北獅・南獅という分類は、中国の獅子舞でも使われています。
北獅はいかめしく、やや頭でっかち。南獅は装飾性に富んでいるのが特徴です。
これが代表的な北獅。最近では耐震設計偽装で有名になったヒューザーの小島社長宅にあったことで、週刊誌のグラビアにも登場しました(狛研事務局にはメディアからその件で問い合わせの電話もあったとか)。
中国獅子は、北獅も南獅もほとんどが「阿-阿」で、両方とも口を開いています。中華料理店の入り口などにもよく置かれていますね。
私は中国獅子を「狛犬」と呼ぶことには抵抗があります。別に国粋主義者ではないですし、中国獅子が狛犬の親であることに敬意を払っていますが、それだけに、中国獅子と日本の「狛犬」の区別ができない人が多いのは残念なことだと思うのです。
狛犬をきちんと見ていれば、中国獅子と狛犬の違いは一目で分かります。アライグマとタヌキくらい違いますよね。
2005年現在、靖国神社には全部で4対の狛犬が建立されていますが、この中国獅子が最も古く、明治28(1895)年に清国(中国)の寺院から日本軍が持ってきたものです。昭和8(1933)年に国産狛犬が奉納されるまで38年間、靖国神社の「狛犬」はこれしかいませんでした。
この中国獅子の出自については、
liondogさんが『新撰東京名所図会』や『靖国神社百年史資料編』をもとに調査して発表しています。
『新撰東京名所図会』には次のような記述があります。
「石獅子 競馬場の中央、道路の東頭なる左右に。一双の石獅子あり。周囲に竹柵を結ひ。漫りに衆庶の悪戯を為すを禁ず。其形内地の製と稍異なれり。是そ廿七八年の役に遼東より捕獲し来りたるものなり。」
『靖国神社百年史資料編』によればこうです。
日清戦争(1894-95年)の最中、海城の山学寺が日本軍の野戦病院にあてられていた。そこの総責任者であった石黒忠直軍医総監が、戦の終結後、軍司令官の山県有朋を訪ねたおり、この獅子像にいたく感動したという話をしたところ、そんなにいいものならぜひ日本に持っていき、「陛下の叡覧に供して大御心の程を慰め奉りたい」ということになったそうです。
なぜ靖国神社に中国獅子があるのか、これで分かりました。もとは清国海城三学寺にあったものなのです。対価を払ったのだから「戦利品」ではないとのことですが、決して、パンダのように日中友好の証として寄贈されたわけではありません。
もちろん、参拝客のほとんどはそんなことは知りません。「面白い"狛犬"だなあ」と思いながら見上げていることでしょう。しかし、これは「狛犬」ではないのです。また、戦争がなければ日本には連れてこられなかったものだということも、合わせて覚えておきましょう。
★靖国神社の「狛犬」については、
liondogさんのサイトからの情報に基づいています。資料もliondogさんからご提供いただきました。感謝します。
★この件は、朝日新聞WEB版掲載のAICにも書きました
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