小松寅吉・小林和平の作品を見に行く 4

矢吹町の八幡神社には、孫の小林登銘の狛犬がいるはずです。
山の中の静謐な神社で、参道石段の上にその狛犬がいましたが、登が彫ったのは一体だけでした。

八幡神社(矢吹町中畑根宿)

登が彫った吽の狛犬 八幡宮(中畑)阿

登の銘 ここにはもともと、明治41年旧8月に建立された飛び狛犬が一対いたようです。
上の写真右↑は、完全な形で残っている阿像のほうです。実に見事な作品で、これだけのものを刻んだ石工が誰なのか、知りたいところです。もしかすると小松寅吉門下の石工、例えば息子の布行かもしれません。場所柄、小松一派の石工である可能性は高いでしょう。
ところが、吽像のほうが台座から落ちたのか、壊れてしまい、和平の石工房に再建の依頼があったようです。
和平はすでに80代半ばで石を彫る力は残っておらず、孫の登に指示を出しながら彫らせた、ということを、今なおご存命の和喜氏(和平のお孫さんで、兄・登と一緒に和平のもとで石工修行をしていた)が語っているそうです。
吽像(写真上左)の台座には石工・小林登の銘がしっかり刻まれています。
几帳面な性格が現れた、実直な出来です。しかし、惜しむらくは、躍動感に欠け、もとの石の形(四角い石材)がうかがえます。
小林和平は生前、常々こう言っていたそうです。
「四角のものは曲尺をあてれば誰でもできるが、彫刻はそうはいかない。持って生まれた才能が必要だ」
登が彫った狛犬の隣には、胸から上だけ残った先代が今なお並んで置かれています。もしかすると、ここに先代を置かせたのは和平なのかもしれません。もしこの先代狛犬を小松門下生の石工が彫ったのだとすれば、和平が先代に敬意を払ったのも当然でしょう。
「登よ、この先代狛犬の出来をよく見よ。いつかこの先代狛犬を凌駕する狛犬を彫ってみろ。俺はもう長くはないが、俺の死後も、この先代を見て腕を磨き続けろ」と言い残しているような気がしてなりません。
ここには、石工という辛い仕事を継いでいく男たちのドラマが残されています。
阿像の裏側
↑ 古いほう(阿像)を裏から見たところ。

この神社の参道入り口には、和平が大正12(1923)年9月に彫った灯籠が残されています。
42歳くらいの作品ですね。
石都都古別神社の狛犬を彫る前に、こうした狛犬以外の作品も多数手がけていたはずです。 八幡神社(中畑)の灯籠

■Data:八幡神社(福島県西白河郡矢吹町中畑根宿):
●阿および吽の先代:
ο建立年月・明治41(1908)年旧8月。ο石工・不明。
●吽:
ο建立年月・昭和38(1963)年12月。ο石工・小林登。
ο撮影年月日・04年3月25日。

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