第二回 小松寅吉・小林和平作品ツアー 6

王子八幡神社


王子八幡神社も再訪。
前回はあまりよく見ませんでしたが、狛犬の横に建つ泉重左ヱ門像も和平の作。昭和13年。
この狛犬、他の和平狛犬と比べて作風がいささか異なっている上、和平としては珍しく自分の名前を刻んでいないことから「謎の狛犬」としていましたが、吉田さんから詳しい調査報告がありました。

以下は、吉田さんが、神社横に住む遠藤重多(じゅうた)さんに聞いた話の伝聞です。
狛犬奉納が決まってからは集落中(約50戸)かなりの盛り上がりぶりだったとか。
重多さんは当時8歳くらい。よく、和平の仕事場を覗きに行っていたそうです。和平は弟子の遠藤秀一と一緒に彫っていたそうで、おそらく、この狛犬は和平と秀一の合作なのでしょう。
御影石の台座は秀一が彫り、丸石積みは奉納者全員で、前の川から砂利や丸石を運び上げたとか。型枠は、やはり奉納者のひとりである大工の山田朝治氏が担当。
遠藤秀一は和平がいちばん可愛がっていた弟子だそうで、奉納者にも名を連ねている秀一や、その他、この狛犬建立に尽力した奉納者たちに花を持たせる意味もあり、敢えて自分の名前を刻まなかったのかもしれません。
もうひとつ気づいたのは、同じ戌亥会が昭和14年正月に石川町石都都古別神社御仮屋に「初老記念」として奉納している狛犬と照合すると、どうも奉納者名が別のようなのです。同じ「戌亥会」だとすると、出身地域別に2グループに分かれて狛犬奉納を競ったか、あるいは同じ戌亥会という名前のまったく別のグループが同時期に「初老記念」として狛犬を奉納したのか……。
どちらにも和平は関係しているわけですが、もしこの2対の狛犬奉納が互いにライバル心のようなものを燃やして奉納されたとすれば、両方に和平の名前を彫るわけにいかなかった……というような事情があったのかもしれません。
最後に、この狛犬のデッサンが他の狛犬と違って見える原因のひとつとして、元の石材が薄かったから、奥行きを持たせて彫るわけにいかなかったということがあるような気がします。薄い石材を使ったというのは、恐らく予算の都合でしょう。大きな石を使うだけの予算がなかった。弟子の秀一が手伝ったり、奉納者全員で石組みを作ったという話を合わせても、「低予算・奉納者全員参加手作り」狛犬であったように思います。
全員が力を合わせて作ったという思いから、石工の名前を入れなかったと考えるのが妥当なようです。いずれにしても、和平の狛犬の中では変わり種です。
和平狛犬で銘がないのはこれだけ。建立の背景を知るにつけ、興味深い狛犬です。
 
ちなみに、隣の泉重左衛門の像には、彫刻小林和平。石垣石工遠藤秀一と刻まれています。

和平の生家
すぐそばに和平の生家があります。「石」の字が刻まれた土蔵が印象的。↑

鯉のぼり
かなり気の早い鯉のぼりが、青空にくっきり。
この日はとても風の強い日で、鯉は元気ですが、こちらは砂埃に悩まされ、大変でした。

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