第二回 小松寅吉・小林和平作品ツアー 10

長福院の毘沙門と仁王

 
墓地を後にして、白河に向かって約500mほど行くと、法華宗 長福院というこれも小さな寺があり、そこには寅吉作の毘沙門天像と和平の仁王像があります。
以下、吉田さんからの伝聞ですが、
この寺の山口憲祥和尚によれば、あるときこの毘沙門天が傾いて倒れそうになっていた。それを何かの用で来た和平が見つけて、すぐに直した。そのとき、和尚が「この毘沙門天は師匠(寅吉)ひとりで彫ったのか」と和平に訊ねたところ、「いや、俺も一緒に彫った」と答えたとか。
独立後も、師匠・寅吉の作品制作に、和平はたびたび参加していたようです。

どういうわけか、毘沙門天は「福貴作小松孝布」、その前の仁王像には「和東斎剣石」と彫られています。なぜ布孝を逆にした「孝布」と刻んだのか、また、和東斎剣石は和平の雅号らしいのですが、なぜこの像にだけ雅号を刻んだのか? 一種の洒落なのかもしれません。↓
   
毘沙門の台座には、発起人として小林和平も名を連ねています。
それにしても、なぜ「孝布」「剣石」?
このとき、寅吉は69歳前後。亡くなる2年前。和平は独立して4年が経ち、31歳。もしかすると、親方寅吉は、実際にはすでにこれだけ大きな石像を彫り上げるだけの力はなく、独立して出ていった弟子の和平を呼んで、かなりの部分、彫らせたのかもしれません。そのため、完成後は自嘲的に「これは俺の作品とは言えない」という意味を込めて、わざと「孝布」と刻んだのではないでしょうか。
その洒落っ気を弟子の和平も受けて、じゃあ、自分も……と、和平とは刻まず、「和東斎剣石」という雅号を彫った……。そう解釈すると、ここには師弟間の絶妙な心のやりとりを記したドラマがあるような気がします。
 
このお寺、普通の民家というか、軒先にはトイレットペーパーやら「たらい」やらが雑然と置かれていて、なんとも気取りのない、開けっぴろげな寺です。
こういう場所なので、寅吉や和平も楽しんで?仕事をしていたのでしょうか。
庭の花がきれいだったので、ついでに↓
 

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