神の鑿(のみ) 寅吉・和平の世界

寅吉・和平の世界9

寅吉の狛犬(前期)

 寅吉は生涯にいくつかの狛犬作品を彫っているが、そのパターンは大きく分けて二つある。
ひとつは江戸唐獅子タイプに近く、口に花をくわえているものが多い。

 もうひとつは大胆に空を滑空するというオリジナリティ溢れる構図のもので、最初に登場するのは川原田の天満宮の狛犬(明治25年)である。
 まず、前期作品に多い、ごく普通の江戸獅子に近いタイプをいくつか紹介する。
関和神社の狛犬


 寅吉の作品に名前が刻まれるようになるのは明治25年くらいからだが、その頃はすでに48歳になっており、それ以前の作品がないはずはない。
 明治24年以前の作品には自分の名前を入れなかったということも考えられる。
 小松家の墓地にある、先代・小松利平のものと思われる墓石には、利平(理兵衛)布弘は明治26年に84歳(数えで85歳)で亡くなったと読み取れる記述がある。利平は自分が死ぬ前に、石工として後を託せるのは寅吉しかいないと確信し、先代の「布孝」という名前を授け、作品に銘を刻むことを許したのかもしれない。
 白河市の関和神社には、明治20年建立という銘が彫られた狛犬1対がある↑。形を見ると、寅吉の前期狛犬に間違いないように思えるが、石工の名前は刻まれていない。この狛犬が寅吉の作品だとすれば、この頃はまだ自分の名前を彫ることを許されていなかったのではないか。
新地山入り口の狛犬 吽 新地山入り口の狛犬 阿
 上の写真↑は白河市借宿の新地山入り口、羽黒神社の参道を守る狛犬である。明治26年の建立で「福貴作 石工寅吉作」という銘が入っている。寅吉の銘が入っている狛犬では最も古いものではないかと思われる。
 
八雲神社の狛犬
 上の写真↑は、白河市大沼の八雲神社参道入り口にいる狛犬。この狛犬の前には、寅吉の晩年の作(明治41年)である灯籠が置かれている。狛犬は明治28年6月建立だが、石工名は記されていない。寅吉の作だとすれば、明治26年の新地山狛犬には「福貴作 石工寅吉作」と名前を刻んでいるので、それより後のこの狛犬に名前を刻んでいないのは不思議なのだが、形はやはり寅吉の前期狛犬そのものである。
 寅吉単独の作であるかどうかは分からないが、寅吉の工房「石福貴」で作られたことはほぼ間違いないのではないか。
金比羅神社吽 金比羅神社 阿
 ↑これは明治32(1899)年10月、寅吉が55歳のときに彫られた金毘羅神社(白河市九番町)の狛犬。「福貴作石工小松寅吉」という銘が入っている。
 前期型狛犬には、銘が入っているとしても「寅吉」銘で、「小松布孝」の銘の入ったものはない。次ページで紹介している「飛び獅子」タイプの大作には「小松布孝」銘が入っている。このことから考えるに、寅吉は自信作には「布孝」銘を入れていたのではないかと思われる。
牡丹園の狛犬
 須賀川牡丹園には制作年が不詳の獅子が3体ある。うち1体は小さな社を守るように獅子山風に仕立てられているが、対になっておらず1匹だけである。1匹が倒壊したという風でもなく、最初から1匹だけだったと思われる(上の写真)↑。
 さらに、入り口を入って右手方向に進んだところには巨大な獅子一対がいる。宮内庁の入江侍従長の歌碑が建てられている花壇の中で、歌碑の説明板はあるが、唐獅子像の説明はない。
 この唐獅子は迫力のある大作だが、存在が無視されており、牡丹園のパンフレットや案内板には一切登場しない。牡丹園に寅吉の獅子があるという情報を持って訪れた私でさえ、危うく見落とすところだった。
 ここでも、石の芸術がいかに不当な扱いを受けているか痛感させられる。
 同牡丹園にはアメノウズメノミコト像、鶏像という寅吉作品があるが、なんといっても圧巻はこの唐獅子一対である。同園を訪れた際には絶対に見落とさないように。↓
須賀川牡丹園の唐獅子 牡丹園の獅子 吽 牡丹園の獅子 阿

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