エッセイ 「狛犬」という趣味
このコーナーの文章は、『生衛ジャーナル』(編集・発行 財団法人全国生活衛生営業指導センター)の2002年7月号から2003年5月号まで連載されていた『狛犬鑑定団が行く』というエッセイを元に、若干書き直したものです。
トルソー狛犬と「先代」たちのドラマ
狛犬は、屋内に置かれる木造が中心の「神殿狛犬」と、屋外に置かれる石造りの「参道狛犬」の二つに大別できるということを前回書きました。
文化財として認定されている狛犬の多くは神殿狛犬です。参道狛犬は歴史が浅いためか、管理者である神社でさえ「文化財」としての認識は一般に低いようです。拝殿より奥にある狛犬を撮影するために、神主さんに許可を得ることがありますが、狛犬のことを訊ねても、たいていは「狛犬? 気にしたことないですねえ」というような答えしか返ってきません。
しかし、狛犬ファンの多くは逆に、木造の神殿狛犬よりも、石造りの参道狛犬を愛しています。それはなぜか?
参道狛犬は参拝者からも無視され、そこに存在しているのに振り返ってももらえません。同じ石の像でも、地蔵像などは足下に賽銭が置かれ、手を合わせられる対象なのに、狛犬を拝む人というのはあまりいません。
それでも文句を言わず、けなげに風雪に耐えて神社を守っている。その姿に愛しさや共感を覚えるのですね。
また、屋根のあるところにいる神殿狛犬と違って、毎日雨風や直射日光ににさらされていますから、風化が進みます。特に出雲系と呼ばれる、日本海側に多い狛犬は、砂岩質の石でできているため、脆く、百年もすればボロボロの姿になります。
目も鼻も分からなくなり、かろうじて「かつては狛犬だったらしい」と分かる程度に風化してしまったものもあります。私はこれを「トルソー狛犬」と呼んでいます。
トルソー狛犬は価値がないのか? いえ、決してそんなことはなく、目鼻がなくなることで、一種の神々しさを帯びるものもあります。風化の度合いに従って、「何か別のもの」に変身していくと考えることもできます。その姿に、「形あるものが次第に消滅していく運命」を思い、哲学的な気分に浸るのも、狛犬道のひとつでしょう。
栃木県の岩船山山頂にいるトルソー狛犬。神社が跡形もなくなった山の頂上に、今なおこうして生きている。
「吽」のほうはすでに原型を留めておらず、これだけ見ても狛犬だとはとても分からない。
トルソー化していなくても、新しい狛犬が建立されたことでお役ご免にされる狛犬もいます。狛犬研究家の三遊亭円丈師匠は、これを「先代」と呼んでいます。
先代の扱われ方は様々です。
一、今まで通りの場所に残され、単純に狛犬が増えていく
二、台座から下ろされ、境内の隅にひっそり置かれる
三、完全に廃棄されてしまう
残念なことですが、実は三のケースがいちばん多いのだと思います。どれだけの名品が今まで処分されてしまったことか。
狛犬ファンにとっては「江戸の逸品」でも、興味のない人には「ただの粗大ゴミ」なんでしょう。仏像などと違って、簡単に壊され、捨てられていくようです。そうなる前に神社関係者や氏子たちに狛犬への興味を喚起させることや、写真に収めて存在証拠を残すことも大切なことだと思っています。
栃木県鹿沼市 加園八幡神社の先代たち。新しい狛犬に拝殿前の定位置を譲り、社殿の横手の地面に置かれている。二対の先代狛犬はいずれも江戸期に作られたものと推定される。
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