2003年版 甲斐路に江戸狛犬を訊ねる その3

山神社

残るは山神社なのですが、これは文字通り山奥の神社で、アプローチが大変。
地図を見ると、昇仙峡ライン(県道27号線)の穂坂小学校側から入っていくルートと、長久保側から入っていくルートがあるんですが、どっちにしても狭い山道。
穂坂小学校側から入りましたが、本当にいいんかいな、この道で……というような山道でした。
集落らしきものもないような本当の山の中。
ふと目にとまった石段。
あれ? もしかして、ここかな?
山神社への石段
険しい石段ですねえ。どこまで続いているんでしょ。
入り口には神社の表示は一切なく、これが本当に目指す山神社なのかどうか、半信半疑のまま、石段を登りはじめました。
五葉松で食べ過ぎたので体が重いこと。ん? 普段から重いだろって。ほっといてんかぁ。

山神社 神楽殿
石段を登りきると、神楽舞台らしきものがありました。
しかし、本殿らしきものは見あたりません。後で解説看板を読んで分かったのですが、本殿はもともとないようです。
京都でいえば大神(おおみわ)神社みたいなもんでしょうね。
完全な天狗系というか、縄文系というか、鬼系ですね。
山神社 由緒
祭神は大山祗の尊ということになっているようですが、要するに山の神系、出雲神系、土着神系でしょうね。国家神道にくみしない、日本古来からの神社は、大山祗の尊を祭神とする……ということにしてあるところが多いようです。
スリリング?な祭りといい、小説の舞台としては最高ですね。
奥の院への入り口
さらに奥へと道は続いていて、今にも朽ち落ちそうな木製の鳥居があります。
おお~!
狗道研究会の守屋さんだったら「きたきたきた!」とか言って頭を抱え込むような霊気むんむんの場所。
嬉しくて小走りに進んでいきました。
山神社奥の院
いたぁ!
目に入った途端、胸が苦しくなるような衝撃に襲われました。それだけすごい場所です。
でも大丈夫。私は狛犬さんとは友達ですから、すぐに分かってくれたようで、胸の苦しみは取れました。
(単に、石段を登ってきて息が切れていただけという説もある)
正面から臨むとこういう感じ。
すごいですねえ。
下駄は天狗だし、鉄の剣は鬼だし、もう、たくきワールドそのもの(自分で言うか)。
山神社の狛犬
奥の院とでも呼べばいいんでしょうか。
この場所を守るように、2匹の狛犬がいます。
形はさっき見た柳原神社の狛犬に似ていますが、さすがにこちらのほうが迫力があります。
山神社 吽
これが吽のほう。
笑っているように見えますが、見る角度によって表情は実に様々に変化します。
山神社 阿
こちらが阿。
口の中が赤く塗られていますが、これは後から塗られたのか最初からなのかは不明。
山神社 吽  山神社 阿

阿吽を並べてみました。
阿は犬らしく、吽は人間っぽいですかね。
山神社 吽
この格好は柳原神社のものに似ていますが、こちらのほうが多少安定しているでしょうか。
基本的にはやはり狼なのかなあ。
山神社……山がご神体……大神(おおみわ)神社と同じ国津神系……大神=おおかみ=狼
飛騨一の宮の水無神社の狛犬(あれも狼?)にも似ているかもしれない。
阿の顔
阿は、なんとも言えない顔ですね。
歯も細かく刻まれていて、技巧的にもかなりなもの。
吽の台座  阿の台座
台座にはこんな風に刻まれています。何を祈願したのでしょうね。
一緒に
大きさはこんな感じです。江戸時代にしては相当大きいでしょう?
柳原神社の狛犬より3回りくらい大きいですね。
年号
幸い、この狛犬は年号がはっきり読みとれました。
文化10年酉4月吉日。
ということは、やはり柳原神社の狛犬も文化年間という推理は当たっているようです。

甲斐の神社.COMのおかげで、今回は満足のいく狛犬探訪でした。
新発見はなかったものの、追認だけでもこれだけ内容が濃ければ大満足。
撮影は三珠町熊野神社も山神社も暗くて難しかったですね。Exif情報を見ると、2.5分の1秒とか4分の1秒などというロングシャッターで撮ったものばかり。三脚なしなので、失敗を覚悟で数をこなす作戦。
こういうのはデジカメの強みです。
というわけで、ここで打ち止め。珍しく、まだ明るいうちに帰路に就いたのでした。
■Data:山神社(山梨県韮崎市穂坂町上今井):
ο建立年月・文化10(1813)年4月。
ο撮影年月日・03年5月23日。



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