2003年版 甲斐路に江戸狛犬を訊ねる その3

熊野神社(三珠町)

いよいよメインディッシュ。本日の目的である三珠町熊野神社へ。
しかしこの神社、まず場所が分かりづらい。
山梨は道が細くて、狛犬探訪の際はいつも難儀するんですが、その極致。
周囲を迷った末、近くの長昌寺というお寺に車を入れ、犬に吠えられながらもちゃっかり駐車。
そこから見当をつけて大塚小学校の裏手に回ったところ、熊野神社にようやく行き着けました。こういう場所の神社は、地図に鳥居マークがあっても、今回のような確実な情報がない場合は通り過ぎてしまうでしょうね。
こんな感じの神社
本殿前に、昭和4年の狛犬がいますが、これはこのへんではよくある甲斐狛犬型。奉納者の奉納理由が「朝鮮帰郷」というのが目を引きました。故郷の「朝鮮へ」戻ったんでしょうかね。戦争が始まるだいぶ前のことですが、そうだとしたらこの人のその後の運命はどうなったんでしょうね。

お目当ての応永狛犬は本殿後ろにいます。まずは解説板を見ましょうか。
解説
……だそうです。
壊れた柵 いつも思うのですが、狛犬って軽視されていますねえ。
年号が刻まれているのですから応永12年は本当なのでしょう。だとしたら、小さな町の文化財としてだけでなく、せめて県の文化財指定は当然でしょうに。江戸期以前の石造り狛犬は非常に少ないということを知らないのかなあ。

で、この狛犬が金属の檻に閉じこめられていて、しかも柵が邪魔して見にくいという情報は事前に得ていました。
脚立持参で行くべしという話もあったのですが、そこまで根性もなく、さてどうしたものかと見ると……あらら? 柵の一部が壊れている……というか、桟が1本外れていますねえ。ロールプレイイングゲームの一場面みたい。
そうか、このダンジョンの正解は……むにょむにょ。
三珠町熊野神社の応永狛犬
なんか、ねずみ取りに引っかかった大きなネズミ2匹という感じでしょ?
応永の狛犬様になんてことを。
でも、こうでもしないと不埒者が無茶をするかもしれませんしね。複雑な心境です。

これが吽のほう。阿吽が逆で、向かって右側に吽がいます。分かってないなあ。それともなんか意味があるのかな。
お顔はこんな感じ。
目が特徴ありますね。団子をくっつけたみたい。耳は欠けてしまったのか、最初からないのか……。
三珠町熊野神社の応永狛犬 背中側
背中側から見たところ。紐のような尻尾、シンプルながらしっかり鬣のあるところ、前脚にデザイン的な隆起があるところなどが、美術的に注目すべき点でしょうか。これより後の江戸期のはじめ型狛犬にも、これより稚拙なものはたくさんありますね。それらにくらべると、かなりしっかりしたデザインだし、個性もある。
素晴らしいですね。
石の質感や壊れ方からしても、応永というのは本当なのでしょう。
阿
こちらが阿。
向かって左側にいます。脚が壊れていて、こんな風になってます。
阿の顔
阿のほうは、顔の損傷も吽より少し進んでいます。残念。
上から見るとこんな感じ。 紋様がよく分かりますね。
上から見たところ
しかし、本当に応永?
無理を承知で、腹の文字をなんとか読みとろうと努力しました。
阿の腹
どうですかねえ。肉眼ではまったく見えませんでしたが、レンズを通して文字らしきものがはっきり写っていますね。
この角度からでは読めませんが、これだけはっきり刻まれているなら読み間違いはないでしょう。三珠町教育委員会が嘘をつくはずもないでしょうし、やはり応永12年は確定ですね。
恐らく、年号がはっきり刻まれている石造り狛犬では最古か、それに準じるのでは?
痺れるなあ。応永12年! 今から600年前かぁ……。
■Data:熊野神社(山梨県西八代郡三珠町大塚):
その1(本殿前):ο建立年月・昭和4(1929)年11月3日。ο石工・甲府 石岩刻 ο奉納・朝鮮帰郷 渡辺小太郎 同・?(妻らしい)
その2(拝殿奥): ο建立年月・応永12(1405)年2月1日。ο大公性見、小公藤二良。ο安山岩。ο体高約39センチ
ο撮影年月日・03年5月23日。

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