狛犬とは何か? 100万人の狛犬講座




  山北神社の狛犬

 そもそも「狛犬」とはなんなのか? というご質問をよく受けます。
 狛犬は誰もが知っている存在でありながら、なぜかあまり学術的な研究がされてきませんでした。今でも、定説というものはありません。
 しかし、「定説になりつつある」事柄を、誰にでも分かりやすいFAQ形式でまとめてみました。
(2019/10/28 updated)
 

狛犬って何?

 神社に奉納、設置された空想上の守護獣像です。本来は「獅子・狛犬」といい、向かって右側が口を開いた角なしの「阿像」で獅子、左側が口を閉じた角ありの「吽像」で狛犬です。
 阿吽の形になっているのは日本特有の形式で、中国の獅子像は(地域にもよりますが)両方とも口を開いているものも多く、必ずしも「阿吽」にはなっていません。
 獅子・狛犬はもともと別の生き物(空想上の霊獣)ですが、現在ではこの左右別の形状という形式を残したもののほうが少なく、形としては阿吽共に獅子に近いものが多いでしょう。逆に、呼び方は「獅子・狛犬」の獅子が消えて単に「狛犬」に定着しています。
 

狛犬の起源は?

 諸説ありますが、古代オリエントにまで遡るという説もあります。この説によれば、スフィンクスは狛犬の遠い先祖と言えます。
 国王が強大な力を得るために、地上最強の動物(と思われていた)獅子(ライオン)の力を王に宿らせるという思想は古くからあり、玉座(王の椅子)の肘掛けに獅子頭を刻んだりするようになりました。
 ヨーロッパの家紋にはライオンを象ったものが多いですし、プジョーのエンブレムもライオンですね。インドでも、仏像の台座にライオンを刻んでいる例があります。これも仏様を守るという役割を担わせているわけです。
 狛犬研究の先駆者であり神社界の重鎮であった故・上杉千郷氏は、これを「獅子座の思想」と呼んでいます。
夜の女王 英国博物館蔵 BC1800頃
「夜の女王」  古代バビロニア BC1800年頃(英国博物館蔵)




仏教の中の「獅子座」思想
 

日本に狛犬が入ってきたきっかけは?

 これも諸説ありますが、現在有力視されているのは大体以下のようなものです。

 インド・ガンダーラを経由して、獅子座思想は中国に入ります。中国人は、龍や麒麟など、様々な霊獣を生み出すのが得意なので、獅子も羽をつけたり角を生やしたりしてどんどん空想上の生き物に変質しました。
 いわゆる「唐獅子」と呼ばれる派手な獅子像は、中国文化が生み出した独特のものです。
 中国でも、皇帝の守護獣として獅子像が定着しましたが、それを見た遣唐使が、日本に帰ってきてから、宮中に獅子座思想を持ち込みました。
 しかし、日本に持ち込まれた後、一対の獅子像はやがて日本独特の「獅子・狛犬」という形式に変わります。
 向かって右側が獅子、左側が狛犬。獅子は黄色で口を開け角はなし。狛犬は白色で口を閉じ、角がある……というものです。この「阿吽」形式は、恐らく寺の山門を守る仁王像の阿吽などと同じで仏教の影響を受けたものでしょう。仁王像も狛犬も、神(君主)を守護するという役割は同じなので、守護獣としての獅子・狛犬も阿吽の形にしたと思われます。
 これが日本独特の「狛犬」の始まりで、時期は平安時代後期と言われています。
 つまり、日本の狛犬は、天皇の玉座を守る守護獣像として誕生しました。これを「神殿狛犬」あるいは「陣内狛犬」と呼んでいます。

京都御所清涼殿にある獅子狛犬像(宮内庁管轄)

中国獅子と狛犬はどこが違うの?

 中国の獅子像は一対あってもほとんどは相似形で同じ像、また多くは両方とも口を開けて並んでいます。それに対して、日本に入ってからアレンジされた「獅子・狛犬」は、獅子という動物と狛犬という動物(どちらも想像上の動物)、2つの異なるものが組み合わさっているという点で、多くの中国獅子とはまず違っています。
 これには、「左近の桜 右近の橘」のように、アシンメトリー(左右非対称)配列を好む日本文化特有の気風が関係していたと思われます。獅子を左右に置くのではなく、片方には別のものを配したい、という欲求が日本人の美感覚にはあるのでしょうか。そこで、獅子と組み合わせるための別の想像上の生き物として「狛犬」の出番となったのかもしれません。

 しかし、時代を経るに従って、獅子と狛犬の区別がどんどん曖昧になっていきました。形はどんどん獅子になり、逆に呼び方は「狛犬」が定着しました。現代では、形の上では獅子・獅子という構図の「狛犬」が主流です。狩野派の絵師などが獅子を屏風絵の題材として好んだことも、江戸時代以降の狛犬が獅子に似てきたことと関係があるでしょう。その結果、「狛犬と唐獅子は同じじゃないか」という声も当然上がってくるわけです。
 地方の神社などでは、蹲踞しているものは「狛犬」で、岩の上に這いつくばっていたり四つん這いになって見下ろしている造形のものを「獅子」と呼んで区別しているところもあります。かと思うと、狛犬とは呼ばず「お獅子」と呼んでいる宮司さんもいます。
 狛犬は想像上の霊獣だが、獅子は実在の生き物だ、という区別をする人もいます。しかし、江戸時代の人たちはライオンを見たことがありませんから、獅子も想像で描くしかありませんでした。その意味では、獅子も狛犬も想像上の生きものだったのです。

 まとめると……、
 もともと「狛犬」は獅子ではない別の動物として発明されたのですが、時代を経るに従って形の上では獅子のほうが主流となり、呼び方は「狛犬」が定着した、と考えればよいでしょう。ですから、現在、中国獅子と日本の狛犬は似てしまっていますが、「狛犬という文化」が定着し、独自に発展したという意味においては、「狛犬は日本で独自の発展を遂げたユニークな文化である」としておきたいところです。
典型的な中国獅子
典型的な中国石獅子(南獅)



日本の狛犬は「阿吽」になっている


 

狛犬は「高麗犬」だから、ルーツは朝鮮半島では?

 高麗の文字をあてることからそうした説が根強くあるようですが、「高麗」と「こま」犬とは直接の関係はありません。この点を、生前、上杉千郷氏は特に強調していました。

 狛犬の「狛」という字については諸説あります。

1)「狛」は本来、中華思想(中国が世界の中心だとする思想)では「周辺の野蛮な地」を指していた。従って、狛犬は「中国の外(野蛮な異国の地)に棲む正体不明の怪しい犬」という意味で、想像上の霊獣。
2)「狛」は今では中国でも使われなくなった言葉だが、本来「神獣」の意味。犬に似ていて頭部に角があり、猛々しい姿をしている。

 いずれにしても、中国のものであり、「朝鮮がルーツ」とは言えません。日本では「こま」という音から「高麗」を連想し、「こま犬」=「高麗犬」=「朝鮮の犬」といった誤解が広まったようです。ちなみに「高麗」は中国では「カオリー」と発音します。
 また狛犬は「こま」の「犬」ではなく、あくまでも「こまいぬ」という空想の動物なのです。「犬」ではありません。
 その意味では、獅子(ライオン)も、昔の日本人は実物を見たことがありませんから、同じように空想上の動物だったのです。
 このへんの誤解が広辞苑、大辞林などの辞書にもそのまま掲載されてしまっているようです。

 ただし「獅子・狛犬」の「狛犬」のほうに関しては、いくつかのモデルがあるとも言われています。そのひとつが、朝鮮にある「ヘテ(ヘチ)」です。
 ヘテは真贋を見極める能力がある霊獣で、魔除け、守護獣として愛されています。野球の「ヘテ・タイガーズ」の親会社である韓国の財閥グループの名前でもあります。ソウル特別市はヘチをシンボルにしています。
ソウル市のシンボルマークにもなっている「ヘチ」

 しかし、このヘテのルーツは中国の「カイチ」という霊獣ですので、もし、日本の獅子・狛犬のうち、狛犬のほうがヘテを真似たものだったとしても、ヘテのルーツはカイチ(獬豸)であり、中国が先ということになります。
 兕(じ=凹の下に儿)という水牛に似た一角獣も狛犬のモデルではないかと言われています。他にもいくつかのルーツ説がありますが、いずれにせよ「獅子・狛犬」という左右が違う霊獣の組み合わせという形式にしたのは日本が始まりではないかと思われます。
 

沖縄のシーサーは「狛犬」なの?

 獅子像をルーツにしたものという意味では同じですが、沖縄のシーサーは阿吽になっていないものが多いようです。意味合いも、村を守る、家を守る、火事を避けるなど、より庶民的な信仰と結びついています。
 厳密に分類・定義したがるのは人間の習性で仕方がないのですが、狛犬の歴史を考えれば、狛犬という存在は非常に曖昧で自由なものなのですから、決めつけずに、現に存在する狛犬やシーサーをそのまま楽しむという姿勢が、疲れなくてよいと思っています。
 

狛犬が神社に置かれるようになったのはいつ?

 当初、狛犬は宮中のもので、次に天皇家とも縁のある有名な神社へと伝わりました。その後、さらに時代を経て、一般の神社に入ってくるようになります。
 上杉千郷氏は、神社に神像を置くようになったことがきっかけの一つではないかと推理していました。日本古来の神道では、必ずしも形のある神を祀るわけではなかったのですが、仏教の影響を受け、仏像に代わるものを欲しがるようになりました。そこで、神像が誕生するのですが、これは生き神としての天皇を模して作られることになりました。
 神像が設置されたため、それを守る霊獣として狛犬も置くようになった、というわけです。すでに宮中では天皇の守護獣として獅子・狛犬が定着していましたから、その考え方の延長としては理解できます。
 しかし、それだけでは説明しきれません。

「はじめ狛犬」誕生の謎

 現在、私たちが慣れ親しんでいる狛犬は、江戸時代に入ってから急速に変化を見せ、多様な形に発展しました。また、呼び方も、単に「狛犬」となっていきました。
 この時期には、そもそも「こまいぬ」を見たことがない石工が造る狛犬が増えたため、素朴な「犬」のような狛犬が全国各地で造られるようになりました。越前の笏谷石で作られた古いタイプの狛犬(越前禿型)の特徴が一部取り入れられているものもあります。数少ない見本として真似されたり、越前禿型の狛犬を見た人から「こんな形だった」という情報を得て、後は想像に任せて彫ったのかもしれません。
弘前八幡宮の越前禿型狛犬
弘前八幡宮の越前禿型狛犬(1664年)


 これらは宮中の「獅子・狛犬」とは別に、新たに「こまいぬ」という言葉から発生した、あるいは伝聞と想像から生み出された別起源の狛犬と見ることもできます。
 そうした素朴な狛犬を狛犬ファンは「はじめ」タイプと呼んでいます。
 しかし「はじめ」狛犬(通称「はじめちゃん」)は、単に知識や技術が未熟だった村石工が想像力だけで彫ったと片づけられるのでしょうか?
 造形的には東南アジアや中国などの村里に残っている素朴な石獅子像などに通じるものを感じますし、九州、特に熊本を中心に多数存在する「肥前狛犬」などは、南方系のデザインを思わせる独特のものです。また、飛騨高山地方に多く残る「はじめ」狛犬は、狼信仰や狼犬を飼い慣らしていた犬飼氏と結びついているのではないかとも想像できます。

 狛犬が庶民の間に広まった経緯や系譜は単純ではなさそうです。

 「はじめ」狛犬は、やがて伝統的な狛犬の姿形・様式と融合していき、江戸を中心に、さらにバラエティに富んだ狛犬分化が開花していきます。
 現在、私たちが実に様々な形の狛犬を楽しめるのは、江戸時代の庶民パワーのおかげと言えます。

山梨県三珠熊野神社にある応永12(1405)年の日付が腹部に刻まれているはじめタイプ狛犬

 

石造りの狛犬はどれも新しいの?

 国の重要文化財に指定されている狛犬の多くは、平安後期から鎌倉・室町時代に作られた木製の神殿狛犬、あるいは金属製のものです。石造りの狛犬で重文指定されているものは数えるほどしかありません。
 日本最古の石造り狛犬は、東大寺南大門にある狛犬で、建久7年(1196)と言われています。鎌倉時代ですね↓。
東大寺南大門の獅子像

 ただ、これは中国(宋)から呼んだ石工に宋の石を使って作らせたもので、形も阿吽になっていません。石造りの中国獅子であり、正確には「狛犬」ではありません。
 京丹後市の高森神社の狛犬は30センチにも満たない小さなものですが、背中に「文和四年己未五月七日」と刻まれていて、1355に作られたものだと分かります。
 中国獅子の色合いが濃く、屋内用に彫られたものだと思いますが、これを巨大化して神社の境内(屋外)に置いたようなものが京都府宮津市の籠神社の狛犬で、一時期はこれが国産の石造り狛犬では最古ではないかと言われていました。しかし、今では多くの研究者が、そこまで古くはない。せいぜい安土桃山時代くらいではないかと推定しています。
 山梨県旧三珠町の熊野神社の狛犬は完全なはじめタイプですが、応永12(1405)年2月の銘が腹部に刻まれています。最初から屋外に置かれたと思われる石造りの狛犬では突出して古い年号が刻まれていて、狛犬史を研究する上で極めて貴重な存在です。

 石造りの狛犬は、狛犬が神社の参道に置かれるようになった江戸時代以降に主流になりました。狛犬がバラエティに富んだものになっていくのもこの時代からです。
 参道に置くようになると、庶民が奉納するという形になり、ここで狛犬は宮中から一般大衆の世界に降りてきたわけです。
 石造りの狛犬に重文がほとんどないというのは、やはり年代が新しいからということがあるでしょう。
 狛犬探しをしていて、偶然古い狛犬を見つけるのはわくわくしますが、かといって時代が新しいから大したことがないということはありません。デザインや技術の面では、むしろ大正から昭和初期くらいがいちばん円熟していたと思われます。芸術として狛犬を見たとき、逸品はこの時期のものに多いような気がします。
 戦後になると、岡崎型の大量生産狛犬の時代になり、一気につまらなくなっていきます。現代では、新規に奉納される狛犬のほとんどは中国製です。
 

狛犬に雄雌の区別はあるの?

 狛犬が大衆化してからは、様々な説が生まれました。最も多いのは、向かって右の獅子は雄、左側の狛犬は雌というもの。狛犬の中には、股間にくっきりと男根や女陰を刻んだものもあります。
 逆に、阿像は弱いから吠えているので雌だ、などという説もありますし、守護獣は戦う獣なのだから両方雄だ、などなど、諸説あります。こうした説は、ほとんどが理屈をつけたがる人が「後付け」したもので、これが正しいと決めつけられるようなものではありません。
 

狛犬だけじゃなくて、狛狐 狛牛 狛兎 狛猿……いろいろありますよね?

 稲荷神社の狐像や、月読神社、調神社の兎像、天満宮の撫で牛などを「狛○○」と呼ぶのは本来間違っています。
 すでに説明しましたように、狛犬は「コマの犬」ではなく「こまいぬ」という単独の霊獣であって、「こま」と「いぬ」を分離する使い方は間違いです。単に「狐」「牛」「兎」(……の像)と呼ぶべきでしょう。
 また、神社にいる狐や兎、猿などは「神使(しんし)」といい、神様の使い(秘書役、伝達役)ですが、狛犬は神使ではなく「守護獣」です。セクレタリーとガードマンの違いと言えばいいでしょうか。役割が違うのです。
 

狛犬の分類はどのようにすればいい?

 形からの分類はある程度できます。ただ、石造り狛犬の歴史が浅いので、この分類方法もまだ確立されておらず、また、学術的にもなかなか認知されません。
 狛犬が庶民の文化になってからは、実に多くの石工たちがいろいろな狛犬を彫りました。古い狛犬は宮中や格式の高い神社の社殿内にあって庶民は見られませんでしたから、参考にすべきものが限られていました。ですから、コピーが繰り返され、地域ごと、時代ごとに、おのずと似た形の狛犬が作られるようになります。
 狛犬の基本的な分類については、当サイトにもある「分類編」をご参照ください。


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